5月 17th, 2012 No Comments »
企業が、自給自足に対峙した、幸せ生産のコミュニティの形態であると考えると、企業は搾取する側・労働者は搾取される側という対立構造は、非常に奇異な前提です。
幸せ生産のコミュニティに所属するのが嫌であれば、やめて自給自足の幸せを求めればよいし、或いは自ら欲しい幸せの生産コミュニティを作ればよいのです。^
産業革命が興る前、或いはその発展途上においては、財・サービスの生産技術、チームワークを行なう上での時間・場所の制約の問題から、社会全体の幸 せの平均レベルは低く、多くの人たちは最低限の生活、健康に生きることが難しい状況であったかも知れません。しかし、現在は、日本というコミュニティに属 する限りは、健康に生きることは保障されており、その前提で搾取する側・労働者は搾取される側という対立構造は、江戸時代のルールを明治維新に引きずって いるようにも見えます。^
死に物狂いで働くこと、働かないことも選択肢であり、どちらが幸せとは一概には言えません。それを世界に稀に見る“平等”という観念で、死に物狂い で働いている人、或いは勉強している人と、働かない人、勉強しない人の、分業の幸せを受ける権利は同じであると主張するのは、世界の他の多くのコミュニ ティのルールである“フェア”から外れていると思います。^
分業のコミュニティでどれだけ苦労をしたかに対応した所得(分業の対価を受ける権利)に格差があるのは当たり前ではないでしょうか?「我々が暮らし ている社会」で述べたように、世界的にみると国民一人当たりのGDPが1万ドルを超えると所得の増加は幸せの増加につながらず、働かない選択肢も十分に存 在します。問題は苦労しようとしない人、しなかった人が不当な所得を受けることだと思います。苦労とは、「幸せを作る工数 x 苦労の大きさ」の積であ り、遊びたいのを我慢し、一生懸命勉強し、家族の協力を得て一生懸命仕事をした人は、それなりの対価を得るのがフェアであると思います。^
労使関係の別の論点は、企業が働く人を選び、また働く人が分業の場を選ぶ自由です。今の日本のルールは、働く人は自由に企業を選ぶ権利があるが、企 業は一旦働く人に正規社員として参加していただくことを決めると、終身雇用を義務付けるという法律です。正規とはある一定以上の時間の無期契約であり、企 業がやりたいことと社員がやりたいことが異なる場合、或いは、その社員が頑張らない人であっても解雇はできないのです。社員が納得できる理由なく解雇を通 告しようものなら、労組という団体が、不当解雇とシュピレヒコールを挙げます。
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企業と働く人は終身雇用を前提とせず、企業はもっと自由に働く人を選び、働く人はいずれか1つの分業のコミュニティに属するのではなく、2つ、3つのコ ミュニティに属し、貢献できることをやる社会はおかしいでしょうか?正社員・終身雇用という雇用形態を規範とするのは過去のものとなり、学生時代に燃えた 部活や文化祭のような感覚で企業に所属する。企業は属人的な知識を組織知に変換する仕組みに投資し、また人を育てる。育てた人が、(利己のために、元の会 社の秘密情報を漏洩・悪用したり、不当に顧客を奪い取ったりせず)別のコミュニティに転職すれば、それは社会の幸せを増加させる一ユニットとしては Happyなことだと考える。しかし自給自足の場を与えられ、健康に生きることは最低限保障された社会。これはおかしな社会でしょうか?
5月 17th, 2012 No Comments »
現状の日本の企業を取り巻く環境は、自由・競争主義と、株主資本主義によって、細かなルールが制定されています。企業は誰のものか?という質問をすると、多くの場合、株主のものであると言う回答が帰ってきます。では株主とは誰でしょうか?
平成22年度末の日本の上場企業の株主構成は、金融機関30%、外国法人27%、事業法人21%、証券会社2%、政府0.3%の非個人合計80%。個人は20%です。
金融機関、国内外の事業法人の株主は、また金融機関、国内外の事業法人と、連鎖が続きます。会社は“場”であり実体が無いものなので、最終的には、 どこかに住んでいる特定の個人となるはずです。その特定の個人は自分が直接投資をした先ならまだしも、その会社が保有している先の経営、またその先など何 の関心もありません。つまり、企業が株主のものであるならば、平均的な上場企業は、金融機関、国内外の事業法人のものとなり、彼らを主として、意に沿うべ く苦労をしていることになります。おかしくないですか?
本来はどうあるべきか?例によって、自給自足から二歩進めた、お金が発明された初期の分業社会に戻ってみましょう。苦労して捕ってきた魚の対価とし てもらった野菜ですが、一度に沢山もらっても腐ってしまうので、それをお金に代えて将来の幸せを得る権利として貯蓄しておきます。もっと貯まると別の人に 貸して、後で利子をつけて返してもらう約束をします。さらに進化すると、貸したお金で別の人が儲けた場合は、利子だけでなく、その人の儲けのあるパーセン テージをもらう約束を交わすことができる社会となります。
この時代では、まだ自分の苦労がどのように使われるのか見えていたはずです。実労働をしない人が投機的売買により利益を上げることは、社会にとって 許されることでしょうか?経済学者は、市場を流動化する必要悪とみなしていますが、この必要悪が、サブプライムローン、リーマンショック、AIJなどの問 題を立て続けに起こしています。
また生命保険会社は契約者が社員(株式会社の株主の位置付け)である相互会社という形態を取ってきましたが、金融規制緩和を契機に、株式会社化する 企業が相次ぎました。相互会社は相互会社で市場の脅威にさらされず、ガバナンス上の問題が大きいと言われていますが、株式会社化しても、では株主は誰かと いうと実態は金融機関、国内外の事業法人です。個人がより直接的に関与して、企業経営のガバナンスを効かせる、幸せの権利の預託の仕組みはないのでしょう か?
5月 17th, 2012 No Comments »
社会の共通の未充足ニーズに対応したモノ作りは規模の経済が働きますが、より高次元のニーズは個々人の幸せ感に左右され、規模の経済による低価格よ りも自分のこだわりの充足に価値を見出すようになります。それが多様性です。また、情報を取り扱い付加価値をつける企業は、ICTを含む、分業を容易にす る技術の発展により、(リスク分散や範囲の経済という観点で顧客の数の多さは競争優位の源泉ですが)規模の経済の効果は弱くなってきています。
これらを背景に、規模は小さくともCSR指標の大きな企業が生まれる余地はどんどん増えています。これらの企業に対する、幸せの権利の預託の仕組み として、クラウドファンディング(Crowd funding)なるものがあります。個人の少額出資(お金を対価として求めるものと、商品・サービスを対価として求めるものがある)や寄付により小規模 コミュニティを応援する仕組みであり、この仕組みをテコに、現状の株主資本主義を変えて行くことができないかと最近考えています。
ある幸せを生産する場に対して、1人1,000円分の苦労を世界の人口の0.1%に相当する700万人から預託してもらえば、70億円の資本が調達 できます。対価はお金でなくとも、商品・サービスであったり、また他人に幸せを分かち合う喜びであったり、高度に発展して実態の見えない社会の仕組みでは なく、物々交換のにおいが残り、苦労と幸せが目に見える、コミュニティの本質に近づいた社会の仕組みであるような気がします。
アメリカでは、今年の4月にオバマ大統領がクラウンドファンド法案にサインをしました。日本は、現状では規制が多く、思うに任せない状況かと思いますが、社会のあり方を変える大きな原動力になることは間違いないと思います。
5月 17th, 2012 No Comments »
企業にも寿命があります。日経が公表しているCASMAという企業評価指標の分析結果を見ると、日本企業の平均年齢は50歳であり、年齢が上昇するにつれて評価は下がります。
企業も人と同じく寿命があり、ボストンコンサルティングのフレームワークを用いると、「問題児→スター→キャッシュを生む牛→お払い箱」という順番になります。現在の大企業は、戦後まもなく生まれた会社が多く、ちょうど50歳から60歳という年齢です。
企業が年を取るのは当たり前のことです。人の未充足ニーズに着目し、幸せを作ろうと決起して会社を興し、頑張って、成長させます。そうすると多くの 会社がそのビジネスに参入し、競争が激しくなり価格が下がり、人にとっては当たり前の幸せとなります。その結果、企業の存在意義は薄れ、利益が下がり、お 払い箱になるという宿命です。
お払い箱になる前に、自分の会社の、社会における強みを定義して、その強みを活かす新たな幸せを作ろうと努力をしていれば、問題児からスターになる ビジネスも現れるのですが、日本企業各社とも、「モノづくりは誰にも負けない。」、「世界第二位の経済大国」、「品質には自信がある」など、自分だけは年 を取らないと思っていたようです。
また新たな幸せを作ろうという努力も、「強み」を定義した結果ではなく、工場できれいな水を使っているからワサビでも作ってみるかとか、情報システムが伸びるようだから情報システムでもやるかと言った、浅はかな考えが多く、成功確率は決して高くありません。
また会社の規模の追求が生き残る道だと勘違いし、M&Aを仕掛けている会社もあります。企業は、幸せを作るための分業の“場”であり、異な る幸せを作る“場”の人と、単純に一緒になっただけでは、社会の幸せは増えません。一緒になることで、「少ない苦労で」、或いは、単純な合算より「より大 きな幸せ」が作れないと、M&Aの意味はありません。企業は規模ではないのです。
日本企業の多くが、気づかぬ間に「お払い箱」に入ったことを知り、どうすればいいのかと頭を抱えているのが、今の実情です。
5月 17th, 2012 No Comments »
先回、企業の寿命について話をしましたが、世界には平均的寿命を超えて生き続ける企業が沢山あります。それらの企業には共通した特質があります。
以下にご紹介するのは、ジェームズ・C・コリンズ氏が中心となり、膨大なリサーチに基づき持続的成長企業の要件を明らかにした、ビジョナリー・カンパニーのポイントです。
□ リーダーシップ
カリスマ経営は15年ももたない。自分がいなくなった後も、成長を維持する組織の仕組み作りへのリーダーシップが求められる。
□ まず人を選ぶ
不適切な人を乗せたバスは、その人の管理のために膨大な無駄な時間を費やす。最初に人を選び、その後の目標を選ぶ。
□ 現実を直視する
楽観を排し、現実を直視した上で、勝利の方程式を作る。
□ 単純明快な戦略的アイデンティティ
「情熱を持って取り組めるもの」「経済的原動力となるもの」「自分が世界一になれる部分」の3つの円の重なる部分、それを短く言い当てた中長期戦略ビジョンを自社のアイデンティティとして持つ。
□ 規律の文化
人ではなく、あるべき行動を誘発するシステムを作り管理する。
□ 新技術にふり回されない
新技術は、これまでの方向を加速させる促進剤に過ぎない。新技術を追い、また新たな新技術を
求める主客転倒に陥らない。
□ 劇的な転換は日々の積み重ね
粛々とやるべきことをやり続けていれば、いつのまにか成長の弾み車は勢いを増す。逆も然りである
□ 基本的価値観
収益は、生きてゆくには必要不可欠なものではあるが、生きて行く目的ではない。
重要なのは基本的価値観を持っているか否かである。