04.日本のルール(総論)

国、企業などのコミュニティは、「受幸者人数 x 幸せの大きさ / 幸せを作る工数 x 苦労の大きさ」というCSR指標の数値をできるだけ大きくするための分業の形態です。それらコミュニティを、社会の目的に整合させるために、様々なルールが定められています。

例えば、自由・競争主義においては、どの企業のCSR指標が大きくどの企業が小さい、或いは企業経営において、やって良いこと、悪いことを定めるため、商法や労働基準法などの各種法律が制定されています。現状の法律は、明治時代からのもので、その後改定はあるにしても、産業革命、敗戦という社会環境化でよしとされたルールが、今では役に立たないことは自明のことです。鎖国下の江戸時代のルールで、明治維新は推進できないと同じで、一昔前のコミュニティのルールで、今の日本の社会の幸せは効率よく生産できません。

こんな単純なことが何故分からないのか?官僚も、政治家も、学者も、どこかの国を先進国と称して社会の仕組みをまねをすることは可能ですが、ゼロベースであるべき国の仕組みを考える能力がないからだと思います。目的、ルールが明確な自然科学の世界では、日本人は勤勉さと平等によるチームワークを強みとして、様々な工夫を凝らし、世界をリードすることができます。しかし、異文化、個性の集合体である社会を観察し、社会の目的、ルールを提言する社会科学の世界では、非常に遅れています。欧米の文献を検索し紹介するのが学問と錯覚している現状では、日本には社会科学という学問が存在しないと言っても過言ではないと思います。

何故、原子力発電は必要なのか?何故、年金保険料で支払った以上に受け取る権利を守り増税しなければならないのか?何故、経済成長が必要なのか?何故、中学校でダンスの授業が必要なのか?さっぱり分かりません。本来、そのような政策の議論は、個々人の幸せの集合体としての、社会の幸せをどう考えるのかという議論が先にあり、それを目的として、各政策が議論されるべきです。

私の前職の同僚も何名か政治の社会に入りました。しかし数人の力では今の政治は変わりません。現状を根底から覆すパラダイムシフトを起こす必要があります。主張に差が無い政党を選んで、後は闇の中ではなく、日本人の幸せとは何かを明確にし、そのための必要なルールをゼロベースで提言する政策があり、それを国民一人ひとりが選ぶのがあるべき政治の姿だと思います。マニュフェストを闇の中でないがしろするなど言語道断で、マニュフェスト変更の際は、国民に信を問わなければなりません。

→5.日本のルール(労使関係)

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