【幸せを目的にした政策】04.政治問題の本質 (1)国というコミュニティに何を期待するか?
これまで、日本の政治を、収支・支出項目の政策の面から分析してきました。今回は、それらの個別課題の裏側にある本質課題を明らかにし、その課題解決の方向性を提言したいと思います。国も地方自治体も企業も、自給自足を代替オプションとする分業のコミュニティです。
国民一人一人が苦労を税金という形で拠出して、自給自足社会よりも多くの幸せを作ることを目的としたコミュニティの一つが国なのです。
拠出と支出は対応すべきであり、現状の日本の財政状況を考えれば、更なる拠出を求めるか、支出を切り詰めなければなりません。拠出によりバランスを取るには、消費税の5%増などでは済みません。政府は本質的議論を避け、常に国民を欺いてきました。
特に問題なのが、医療、年金、介護、生活保障などの社会保障費です。国や地方自治体よりも明らかに効果的かつ効率的な社会保障の設計、運営ができる民間を活用すると、(個人の判断に任せるため)拠出と支出のバランスは取れ、個々のニーズに対応した商品、サービス開発が進展すると思われます。
この民間へのシフトにより損をするのは、自分が支払った税金(苦労)以上に幸せを得ている人です。公共機関の関係者を含め、これらの人の既得権益を守るために増税を迫るのは、あるまじきことかと思います。
また生活保護も議論を尽くすべきだと思います。国民一人当たりのGDPの世界平均は、2010年で9,178ドルです。ある研究成果によると国民一人当たりの所得が1万ドルを超えると、生活満足度と所得の相関が薄れると言われています。
何故、日本では2万ドル、3万ドルを最低レベルの生活水準として、保障をしなければならないのでしょうか?それは、人口が密集した都会暮らしという生活環境を前提にしているからです。生きるためには、生活費の安い田舎で自給自足の割合を増やすオプションや、生活費のかからない海外での生活の場を提供すべきです。
国の役割は、「都会で死に物狂いで働く人にはそれに対応した対価を与え、働きたくない人には自給自足の割合を増やした田舎での生活環境を与える」といった、ライフスタイルの多様性の提供だと思います。金銭的な格差が問題だという主張には反対です。苦労に対してはフェアな対価が支払われるべきです。そしてそのような主張者は、金銭の過多が幸せの大きさを決めるのではないことを理解すべきです。
個人は、特定のライフスタイルに留まることなく、自由に分業と自給自足の時間配分、生活の質を選ぶことができる。このような社会が、国民一人当たりの所得が一定レベルを超え、人口が増えないという成熟社会のあるべき姿ではないでしょうか?
この実現のためには、社会インフラの整備が必要です。インターネット、分散型自然エネルギー、医療、物流網などのハード、またパートタイムでも、職場から離れていてもできる仕事の創出、ネットを活用した教育、医療の提供、遊休土地の活用の仕組みなどのソフトの開発です。現状では、整備をしようにも、規制で雁字搦めの状態です。新しい時代の新しい社会のあり方に対応するため、憲法を含め法律をゼロから作り直すことが求められます。
社会保障以外の大きな問題の一つは、特定団体への利益の誘導です。農業を守る、漁業を守るなどといって、グローバル社会においてあるまじき政策が平然と実施されています。減反政策に従いでお米を作らなければ、その分の所得を保証しますなどの政策がまかり通る理由がわかりません。国はグローバル分業体制における一つのコミュニティであり、農業は他の得意とするコミュニティに任せるのが、自由・競争社会のルールです。
開国しても、国内における多様なニーズに対応するための農業は発展しますし、自給自足の割合が増えれば、第一次産業の担い手は増えます。政府は、マニュフェストなどにより日本という社会の目指すべき方向性を示し、それに適合しない政策は取らないことを徹底し、族議員の影響力を排除することが重要です。