【幸せを科学する】 2.基本的欲求を満たす社会の仕組み
幸せを科学する
2.基本的欲求を満たす社会の仕組み
Physiological need、Safety need、Social need/love and belongingという人間としての基本的欲求を満たすためには、分業による生産性の向上がポイントとなります。経済先進国に住む人々は明らかにこの基本的欲求は満たされており、競争により経済を発展させることを目的にした国境という作られた壁を取り払うと、世界の人々の基本的欲求の多くを満たすレベルに到達しているような気がします。
ある調査では、国民一人当たりの所得が1万ドルを超えると、平均値としての生活満足度はさほど向上せず、所得の向上と生活満足度のばらつきは大きくなります。つまり国民一人当たりの所得が1万ドルレベルが、基本的欲求を満たす経済の発展レベルとも言えます。
当然、誰かが働き、基本的欲求を満たすための財・サービスを生産する必要がありますが、前提として、アフガニスタン、バングラディシュ、スーダンに住む1人の苦労(苦労の大きさと工数)に対して受けられる幸せの対価と、日本、アメリカ、イギリスなどに住む1人の苦労(苦労の大きさと工数)に対して受けられる幸せの対価は同じであることが”fair”であると認識しています。
現在、世界を支配している経済システムは、国、為替という人為的仕組みにより、貧しい国の労働力を先進国の人が利用して、経済を発展させる目的を謳っています。しかし、経済の発展の目的は、人が幸せになることであり、その幸とは基本的欲求が満たされることであるならば、そしてそれが満たされる状態に到達したとすると、国、為替という人為的な仕組みを捨て、新たな仕組みを作り上げるのが当然です。ちなみに、2010年の世界の国民一人当たりの所得(GDPですが)は、9,178ドルとなっています。
またそのような問題意識を持たず、経済先進国において、日々の快楽的幸せを提供するサービスや、幸せの生産とは直接関係のない幸せの生産・分配のルールの変更・運用(金融商品を売買を含め)で儲けることは、社会的視点から正しい営みでしょうか?地球には、人間としての基本的欲求を満たすことができない人々が多く存在します。そのような快楽的幸せや、ルールの変更・運用による利益の追及よりも、人間としての基本的欲求を満たすことができない人のために、我々の苦労を使うべきではないでしょうか?